2015年 6月 の投稿一覧

幾度と焼失して復活してきた吉原は、ソープランドと共に生きる街

広大な土地に広がる日本最大のソープランド街“吉原”

吉原と言えば、ソープランド街として日本で最も知られた風俗街です。吉原というのは通称で、地名としては存在しません。地理的には、台東区千束4丁目、および3丁目の一部にあたり、面積は、東京ドーム2個分に相当する広大な土地に広がっています。最寄駅は、三ノ輪駅か南千住駅、あるいは浅草駅、鶯谷駅となりますが、吉原までは、徒歩で15分以上かかるので、客の多くは、駅からソープ店が手配する送迎車やタクシーで移動します。

吉原は、遊郭から赤線地帯、そしてトルコ街、ソープ街へ

多くの風俗街でそうであるように、吉原もまた、かつての遊郭から戦後にかけて開発され、今日の風俗街を形成しています。

吉原には、かつて江戸幕府によって公認された遊郭がありました。当時は、現在の日本橋人形町あたりでしたが、大名たちの屋敷が吉原に隣接するようになると、幕府から移転を命じられました。1657年(明暦3年)に移転した吉原は、“周辺の火事・祭への対応を免除”されていたことから、延宝4年から慶応2年の191年の間に22回もの火事が起きています。その多くが全焼するほどの大火でしたが、そのたびに吉原遊郭は、復興してきました。

しかし、明治時代に入ると、吉原遊郭は、縮小を余儀なくされました。それは、政界、財界の社交の場が、東京の中心に近い芸者街に移っていったからです。しかし、1872年(明治5年)、芸娼妓解放令が出されれても、吉原では、江戸時代同様の人身売買が行われていました。

その後、第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、公娼制度が廃止され、吉原は赤線となりました。1958年(昭和35年)の売春防止法の施行により赤線が廃止されると、それまでの店は、連れ込み旅館やソープランドの前身“トルコ風呂”へと転業していきました。

このトルコ風呂が全盛を迎えると、“吉原=トルコ風呂”というイメージが定着していきました。その名称を巡っては、トルコ人留学生、ヌスレット・サンジャクリが抗議し、後に政治家となった小池百合子の協力により、ソープランドに名称変更されました。

バブル期になると、吉原では、10万円以上の高級ソープランド店が多数誕生し、最盛期のソープランド店の数は、250店舗もあったそうです。しかし、バブル崩壊後、高級店が中級店に鞍替え、または閉店するなど、日本を代表する風俗街“吉原”であっても大きな影響を受けました。さらに平成不況下でソープ店の数は減り続け、今では140店舗ほどになっています。

ソープ嬢のための婦人科病院。情報喫茶は、18禁の風俗有料案内所

そんな吉原を歩くと、婦人科の看板をよく目にします。ソープランド街ということで、そこで働くソープ嬢たちは、性病のリスクがとびきり高いためでしょう。

また、“情報喫茶”と呼ばれる喫茶店も目に留まります。これは、かつて江戸時代の吉原遊郭の“手引茶屋”の仕組みをまねたもので、位の高い遊女を呼び出すための仲介所のようなものです。もっとも現在の手引茶屋は、高級ソープ嬢だけでなく、中級、大衆など、お客のリクエストに合わせてソープ嬢たちの写真と店を紹介し、案内した店から仲介手数料を受け取るという商売をしています。いわゆる風俗無料案内所のようですが、喫茶店なのでドリンク代がかかります。なお、店内は、アダルトな情報を扱いますので、18歳未満お断りです。無料案内所は、日本各地の風俗街にありますが、こうした情報喫茶は、ここ吉原だけのようです。

ラブホ街“円山町”を有する渋谷風俗求人の傾向

渋谷の風俗遊びは、ラブホテルの確保から

人が集まるところに風俗あり。若者の街、流行の発信地など、さまざまな呼称をもつ“渋谷”もまた例外ではありません。

渋谷の風俗街と言えば、大規模再開発の真っただ中の渋谷駅周辺ではなく、ハチ公口から目黒に向かう道玄坂方面にあります。道玄坂を上っていくと、109を始めとする東急系列の店舗があり、飲食店、雑居ビルが建ち並んでいます。さらに文化村通りへとつながる道玄坂小路には、ファッションヘルスが数店あるだけですが、辺りの雑居ビルには、デリヘル、ホテヘル店の事務所、待機所が数十か所もあります。

周辺の円山町には、ラブホテル密集地があります。その数は、100軒ほどですが、風俗遊びに限らず、利用者が非常に多いため、平日夜間、土日祝日ともなれば、プレイルームの確保が難しい場合があります。このため、お客がいるのに派遣先のラブホテルが定まらない、接客時間が迫っているのにホテルが見つからないといった事態が起こってしまうのです。

このように道玄坂、円山町界隈は、デリヘルの待機所とラブホテルが近接しており、利便性が高いように思えて、実はそうでないのです。風俗の利用に際しては、確実にホテルとお目当てのデリヘル嬢のスケジュールを合わせる必要があり、人の多い街ならではの悩みの種と言えるでしょう。

渋谷ラブホテル街の円山町の歴史

このラブホテル街は、道玄坂と神泉谷の間、円山町に位置しますが、この辺りは、江戸時代から宿場町、明治時代から花街として栄えていました。大正時代に置屋の数は、130軒を超え、芸者の数は、400人以上というから、かなりの規模と言えるでしょう。この円山町には、かつて三島由紀夫が居を構え、今も財界、政界の名だたる大物たちが住む高級住宅街“松濤”が接しています。松濤は、かねてより企業の重役や資産家たちが所有していたため、近くに料亭、置屋があるのは、会合や接待を行う上で都合がよかったのでしょう。

しかし、売春防止法が施行され、花街文化が廃れていきます。昭和のバブル期には、地上げの嵐が吹き荒れ、多くの料亭が廃業、若者文化の象徴であるクラブが進出するなど、時代の流れと共に変革を余儀なくされました。そして、近年、ラブホテルの建設が相次いだようです。これは、土地所有者の生き残りをかけたもので、松濤との関わりがあって生まれたものではありません。そのため、高級住宅街とラブホテル街が隣り合う、何ともミスマッチなロケーションとなっているのです。

渋谷と言えば、素人・学園系のデリヘル。高級店でさらなる高収入も!?

さあ、渋谷風俗の特徴とはどんなものでしょう? 若者中心の街らしく、人妻系は少数派で、素人系、ギャル系などコンパニオンが若いお店が多いことが挙げられます。職種としては、派遣型のオナクラ、学園系のイメージプレイを提供するデリヘル、ホテヘルが中心です。多くの若者が集まる渋谷では、一般な風俗店であっても女の子のレベルはやや高め。また、モデルや芸能プロダクションに在籍するタレント、AV女優といったより質の高い女性を集めた高級デリヘルの存在が、他のエリアよりも大きいのが特徴です。高級デリヘル店では、一般店の報酬の2から3倍、あるいは、それ以上を目指せる求人があります。容姿に自身のある方は、より多い収入が望める渋谷を目指してみてはいかがでしょうか。

土浦市桜町はDQNな店名が並ぶ風俗街。ソープは年中ピンク色に満開

茨城県には、北関東随一とされる風俗密集地帯があります。それは、土浦市桜町です。名前からしてピンクなのですが、ビジネスホテルもあれば旅館、マンション、病院のほか、大手企業の支店もあります。それもそのはず、土浦は、水戸に続く茨城県第2の都市です。しかし、桜町2丁目には、ソープランド街が広がっているのです。

土浦市桜町、そこはDQNなネーミングの風俗街

メインストリートの名前は、きらきらしたネオン街ということで、“きらら通り”。土地柄だろうか、DQNなネーミングです。入り口付近は、飲食店や居酒屋が並んでいますが、2丁目に入ると様子が一変します。

張りぼてでこさえた派手な店構えのキャバクラ店などが、目に入っていきます。さらに進むと、女性の写真をデーンと掲げたイメクラ店、ファッションヘルス店、ソープランド店が続きます。テレビ番組のパロディーのような店名、やっちゃった感満載のお下品、お下劣、DQNな店名の看板がそこかしこと掲げられています。

他県同様に茨城県でも迷惑防止条例が改正され、客引きが禁止されているので、こうした看板で気を引かねばならないのかもしれません。もうこの辺りは、昼間でも絶対子連れでは行けませんね。その数なんと50軒以上だそうです。

明治から続く花街“桜町”

そんな土浦市桜町2丁目ですが、その始まりは、明治時代の花街からだそうです。戦後は、赤線地帯からソープ街へと移行したという、典型的な風俗街形成の経緯をたどっています。近くを流れる桜川の土手には、春になると桜が咲き誇り、土浦市の名所となっていますが、その向こうには、大正時代に湿地帯を造成し、料亭、料理やカフェーがありました。当時を偲ぶ建物が、今もなお残っています。

土浦市桜町は、川崎に次ぐ関東2位のソープランド街

土浦市桜町の風俗のお仕事といえば、川崎市堀之内に次いで関東で2番目の規模を誇るソープランドでしょうか。総額2万円以下の大衆店が多いようです。しかし、首都圏の大手ソープランドグループのお店も多数出店しており、レベルの高いコンパニオンがいます。なお、ゴム着用が基本であり、性病検査を実施しているお店が多いので衛生面は、よいほうと言えるでしょう。

また、他県にはない特徴として、定休日があることが挙げられます。風俗と言えば、今やデリヘルが主流で、24時間365日というイメージがありますが、茨城ソープは、第三水曜日、あるいは木曜日が、定休日なのです。このほか、ネットでの顔出し率が高い印象を受けます。もっともお店によっては、パネマジこと別人加工の写真を掲載することができますし、顔出しは、ソープ嬢自身が決めればいいことです。

韓デリのメッカ“鶯谷”で苦戦を強いられる日本人デリヘル

都心で珍しく大規模開発のない鶯谷

風俗に詳しい人が、鶯谷と聞いて答えるのは、韓国デリヘル、アジアン風俗のメッカであるということでしょう。

鶯谷は、東京都台東区の地名であり、鶯谷駅を中心とした地域を指します。なお、行政上の地名としては、鶯谷は存在しません。地名の由来は、江戸時代に京都から寛永寺に赴任してきた住職、公弁が、「江戸の鶯はなまっている」と言い、京都から鶯を運ばせて、この地に放ったためとされています。

鶯谷一帯は、江戸時代に寛永寺の領内であたため、多数の寺院が残り、大規模な住宅街、商業都市として開発されることがありませんでした。そのため現在も東京23区にありながら、高層ビル、高層マンションが、比較的少ないのです。

鶯谷ってラブホはあるけど風俗店って見当たらない! ほんと風俗街?

鶯谷駅周辺にラブホテルがあるため、風俗街のイメージがありますが、実は、看板を掲げた風俗店そのものはありません。しかし、無店舗型風俗店、つまりデリヘル、ホテヘルが多数あり、周辺の雑居ビルには、そうした事務所や待機所があります。

かつての鶯谷と言えば、ソープランド街“吉原”に行くための最寄駅でした。今もその役割は変わっていませんが、風営法の改正によってデリヘルが営業できるようになると、駅周辺にラブホテルというロケーションとも相まって、デリヘル街としての印象を強くしていったのです。

それに輪をかけて鶯谷を有名にしているのが、韓デリこと、韓国デリヘルです。中には、デリヘルとは名ばかりの、本番ありの売春クラブも存在するそうです。韓デリの多くは、80分2万円、しかも本番ありならリーズナブルと言えるでしょう。さらに、整形によって顔、スタイルが粒ぞろいとくれば、人気があるのは当然!?

アジアン風俗に圧され、苦戦を強いられる日本勢

鶯谷では、韓国デリヘルに加え、中国やタイ、フィリピンなどのアジアンエステも加わり、日本でありながら、非常に国際色豊かな風俗街となっています。むしろ、日本人がいる風俗店の方が珍しいくらいではないでしょうか。外国勢の濃厚サービスを前に、巣鴨で風俗の仕事をする日本人女性たちが、苦戦を強いられるのは言うまでもありません。

そんな中、韓デリを始め、違法経営店の摘発が相次いでいます。「やっぱり本番行為がバレタか」と思いきや、多くが外国人の不法就労が理由のようです。売春防止法違反で摘発するには、立件が難しいからなのでしょう。2020年の東京オリンピックを前に、ここ鶯谷に大規模な浄化作戦が行われるのか、はたまた日本の風俗店が盛り上げ、生き残るのか、それは誰もにわかりません。